少年との対戦が終わると、そこにできていた奇妙な場も消える。
もちろん、対戦で傷ついた体や生命力などもすぐに元通りだ。
もともとそんな物騒なことにはならない。全て錯覚なのである。
道場は修練の場だ。そんなところで怪我などしていては話にならない。
生命力が無くなったからといって本当に死んでしまっては大惨事だ。当然のことであるといえる。
「それにしても、あんな呪符有るんですね。知りませんでした」
少年が他の呪符共々片づけながら話しかけてきた。
「あんな呪符って、ズアーのことかな?」
「そう、それそれ」
「驚いた?」
「はい」
カルマは、入れ替えした呪符を片づけつつ、思わず笑みをこぼす。
どうやら当初の目的を達成することはできたようだ。
相手を驚かせることと、相手を制することのこの2つ。
まだまだ改良の余地はあるが、それだけにこれからも練り込む価値のある、自分だけの呪文書の1つになりそうだった。
「でも、あれずるいですよね。相手の呪符捨てさせられるなんて。生命力回復手段有ったらもう呪符が引けなくなっちゃうし。最強じゃないですか」
「あれ? 気づいてなかった? あの効果はみんな使えるんだよ?」
「え? そうなんですか?」
「そ。だから、自分が有利にならないと使えないんだ。結構使いにくいよ?」
「ふ〜ん」
少年は少し考え込んでいた。
それにしても呪符の効果がわかっていなかったとは。
どうやら相手が知らない呪符を使うと、こういうこともあるらしい。
まぁ、それに期待してはいけないが。
「じゃ、今日はありがとうございました」
そういって、少年は自分の呪文書を閉じ、軽く頭を下げる。
「こちらこそ」
カルマもそれにならう。
そうして少年は、後ろで待っていた友人と一緒になにやら話しながら道場を出ていった。
そのときに「ボクもあれ、組んでみようかなぁ」などという声も聞こえていたから、もしかすると道場のそばにある魔道書屋にでも行ったのかもしれない。
ズアーを使っているのは自分一人。しかしそれが知れ渡りいろんなところで見かけるようになると意外性が失われ、目的の内の1つである「相手を驚かせる」ということができなくなってしまう。
そう思うとなんだかおもちゃをとられた子供のような気分になって、少しだだをこねたくなる。
もういい大人なのだから、そんなことは絶対にできないが。
「ちょっと、いいかな?」
道場の入り口の方をぼうっと見ていたカルマに、ふいに声がかけられる。
「ズアーなんて、面白い呪符使ってるじゃない。 どう? 対戦しない?」
「え?」
今度はカルマと同じか、やはり少し若い感じがする青年が対戦を申し込んできた。
どうやらさっきの少年との対戦を横で見ていたらしい。
さらにその横ではもう何人かが、これまた自分の呪文書を持って集まってきていた。
珍しい呪符に対する好奇心か。
相変わらず一流の呪文書に渡り合えるとは思えない。だが、呪文書はこうして試していくうちに練り込まれていくものだ。逃げてはならない。
「良いですよ。やりましょう」
「そうこなくっちゃな」
青年が自分の正面に立つ。そして対戦の場が広がっていく。
「Head or Tails ?」
カルマは親指でコインをはじいた。
夕方の5時を少し回った頃、誰も居ない図書館のカウンターの中でランドールは一人カウンターの中に座り、本を読みつつコーヒーを飲んでいた。
そこに黒い影が現れる。
アルフレッドだった。
「おや、珍しいですねアルフ。あなたがここに来るなんて」
「コーヒー、もらうぜぇ」
カウンターの奥にある机に腰掛け、近くにあったカップにコーヒーを注いでそれを飲む。
「・・・」
「・・・なんだよ」
じっと見ているランドールの視線に気づいて、アルフレッドはカップから口をはなした。
「いえいえ、何でもありませんよ」
そういって本に目を落とす。
アルフレッドは少し釈然としなかったが、とりあえずコーヒーを飲み干してしまおうと、再びカップに口を付けた。
「・・・で、どうでした?」
「何が」
「出かけていたんでしょう?」
「別にどこにも行っちゃいねぇが?」
「あれ? そうでしたか」
そういっている間も本から目を離さない。
コーヒーを一口含んで、のどをしめらせる。
「カルマさん、昼過ぎから魔術道場に行くとかで出かけたんですよ」
「ああ、そうみたいだな」
「大丈夫でしょうか」
「あ? 何が」
すでに3杯目となったカップの底に残ったものを飲み干す。
「昨日あなたからカルマさんの話を聞きまして」
「ああ、そんなこともあったな」
「それで、私なりに少しお手伝いをしようと思いまして。とりあえずアドバイスとして1つ呪符を渡しておいたんです。役に立っていれば良いんですけれど」
「占いの鏡か? ま、役には立っているんじゃねぇの?」
「おや。よくその呪符だとわかりましたね」
「あん?」
「私は何を渡したのかまでは言っていないはずですが」
「・・・」
ぺらり。と、ページをめくる音だけが静かに響く。
ランドールはくいっと眼鏡をなおしてちらりとアルフレッドの方をのぞき見た。
アルフレッドのその目がいつも以上に細まっており、顔からは笑みも消えてきた。
「・・・どうかしましたか?」
「・・・。このやろう。はめやがったな」
「なんのことです? 私は別に何もしていませんが?」
「けっ。お前のそういうところがむかつくってんだよ、ランドール」
「おやおや。どうやらまた嫌われてしまったようですね」
そういう間も、ランドールのその顔からは微笑みが消えることはない。
じっとアルフレッドを見つめる目もいつも通りだ。
しばらくの間、アルフレッドは何を言おうか考えていた。
が、やはりここは自分の方が分が悪い。
「けっ」
それ以上毒づくこともなくかき消える。
その手に持っていたカップが力を失って落ち、音を立てて割れた。
「やれやれ。からかいすぎましたか。これは、機嫌が直るまでが大変かもしれませんね」
コーヒーが残っていなかったことがせめてもの幸い。
割れたカップを片づけながら、あとで甘いものでも持っていこうと考えていた。