広大な電脳世界のどこかに、ぽつんと建っている建物があった。
最初見たときにはちょっとした城か、砦のように見えるだろう。少なくても普通の家の様には見えない。
だが、実際としてそのような目的のため使われることは極めてまれだ。
建物は少し高い丘の上に建っていた。離れたところに街も見下ろせる。
他に見えるものといったら地平線の彼方に浮かぶ三日月くらいだろうか。
時刻は夜。
少し霧がかった雲のせいで、建物はいつになく幻想的な雰囲気をかもし出していた。

この建物、実際は何かというと、図書館である。
街から離れたところにある図書館というのもおかしな話だが、そうなのだから仕方ない。
大きな外門をくぐると、開けた庭があり、離れて建物がひとつある。
見た目には2階建ての建物で、その半分は管理人の居住部となっている。残り半分が図書館だ。
蔵書の量はそれほど対した物ではない。
確かに、個人で持っているにしては多すぎるかもしれないが、それでも図書館としては物足りないといったレベルだ。
種類としては、まぁ、管理人の趣味がでて偏っている部分もあるが、それなりにそろっているといえる。
その建物の図書館ではない部分、つまり居住部のある一室に、ある人物が居た。
応接室として使われるその部屋のソファーに足を組んで座り、本を読んでいる。
もう片方の手に持っているアイスティーで軽くのどを潤す。優雅なひとときを楽しんでいるといった様子だ。
彼の名前は、カルマ=ライシス。この館の主、兼管理人である。
背中まで届く長い黒髪を後で結び、切れ長の眼を前髪からのぞかせている。
顔は少し幼い感じがするが、それほど若すぎると言うわけでもない。
黒のズボンにグレーのシャツ。髪を結ぶ紐は赤だが、どうやら黒を基調としているようである。
首から下げたペンダントだけが青い光を放っていた。
そのソファーの後ろ、彼の視界の死角になる場所に、突然黒い影が現れる。
やせた漆黒の体、長く細い耳、切れ長というには細すぎるつり上がった目、赤いくちばし。
異様に長い腕を広げればその間に現れる黒い大きな皮膜がみてとれる。
明らかに人ではない。
──深淵の死霊。
氷河の時代から生き残ってきた、相手の心を惑わす力を持ったクリーチャーである。
「何の用だ? ここには姿を見せないといってたんじゃなかったか?」
「ちぃっと、退屈でな」
「おまえの姿は人の世界では異形のものだからな。見られるとやっかいなんだぞ」
「今は誰も居ないじゃねぇか」
腕を広げ、皮膜で軽く風をおこすとふわりと飛び上がり、反対側のソファーに静かに舞い降りて座る。
彼は話の最中にも本から目をはなすことはなかったが、相手の姿を視界の端に認めると、ちらりとだけ目を向けた。
「そんなににらむなよ。人に見られるほど俺は間抜けじゃねぇからよ」
「そう願いたいもんだ」
つぶやいて、ページをめくる。
「なぁ」
「なんだ?」
「本ばかり読んでいて、楽しいか?」
「あぁ、楽しいね。これには・・・」
ぺらり。もう一ページめくる。
「俺の知らない世界、考え方、知識が詰まってる。驚くような歴史的事実、感動的な物語、生活のためのちょっとした知恵、人としての心構え。そして、魔道書。何もかもが新鮮だ」
「そういうもんかねぇ。俺は人の心の方が・・・」
ぎらり
とたんに彼の目が死霊をにらむ。
「おっとこいつは失言。おまえの前では禁句だったな」
片方の手のひらを相手に向けて、少しおどけてみせる。
「お前まさか、人の心を喰ったりしていないだろうな。もしそうなら・・・」
じっと死霊を見据えたまま、視線を動かさない。
「おっとと、勘弁してくれよ。それはやってねぇからよ」
「それは、だと? じゃぁ、何をやった?」
「おいおい、信用ねぇなぁ。最近は何もやってねぇって。お前は怒らせるとしつけぇからよ。最近は”遊び”のほとんどを我慢してんだよ」
相手の言葉の真偽を見極めようと、切れ長の目がいっそう細くなる。
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・ふう。わかった、そういうことにしておいてやる」
ため息をついて、すっと視線をゆるめる。
アイスティーで一息入れた後、すぐに本に目を落とした。
「わかってくれればいいんだけどよ。お前、少し丸くなれよ。だいたいお前だって人の心を盗み見るじゃねぇか。いざというときは俺だって使いやがるくせによ」
「お前のように楽しみでやっているわけじゃない」
「へぇ・・・俺にはそうは見えねぇけどなぁ」
本に向かっているはずの目がまた、すぅっと細くなる。
「ありゃりゃ。どうやらこれ以上ここにいるとやばそうだ。そろそろ退散させてもらうとするぜ」
音もなくふわりと舞い上がると、現れたときと同様、かすむように消えた。
またな、と、捨て台詞も忘れない。
(・・・あいつめ)
目は細めたままだが、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
どうやら、まんまと退屈しのぎの相手をさせられたようだった。
「ふぅ」
完全に氷が溶けて薄くなったアイスティーをくぃっとのどに流し込む。
本を閉じてソファーから立ち上がった。そして、応接室から出ていく。
読み終わった本を返しにいくのだ。
当然のことだが、管理人だからといって図書館の書物すべてを読破しているわけではない。
それに彼がここにきてから、まだ2ヶ月なのである。
さすがにそれは無理というものであろう。
夜の図書館はさすがに暗い。締め切られた窓からは月明かりも入ってはこない。かなり不気味な感じもする。だが、暗すぎて見通しが利かないということはない。そこら中に魔力を伴って明かりを灯す装置があるからだ。今は夜中なので、明かりは消えているが。
彼は気にせず踏み入った。明かりをつけるための呪文詠唱をする。
「闇夜に踊る小さき精霊よ、我が下に」
一瞬だけ黒いマナが生み出されると、それはゆらゆらと揺れる<鬼火>になった。
それを自分用の照明として浮かべ、それから設置されてある装置を起動させて魔力をそそぎ込む。
注いだ魔力の量をあまり多くはしなかった。そのためそれほど明るいわけではないが、もともと彼は夜目がきくので問題はない。
図書館の貸し出しカウンターにたどり着く。
「これは、カルマさん。また、本の貸し出しですか?」
「いや、今日は返却にきたんだ。」
手に持っていた本をカウンターの中の老人に手渡す。
「そうですか、わざわざありがとうございます。カルマさんは本当に本がお好きですね」
「そうでもないよ。ただ、今はまだ知らないことが多くて、それを知るのが面白いだけさ。それより、カルマさんて言い方はやっぱり慣れないな。呼び捨てにしてもらってもいいんだけど?」
「申し訳ありませんが、私にとって、カルマさんはカルマさんですから」
軽く礼をして、にこりとほほえむ。
やれやれといった風にひとつため息をつくと、カルマはその話題を続けることをあきらめた。
これまで何度か繰り返されてきたやりとりだ。これからだって何度あるかしれないが、その内容が変わることは無いだろうという確信めいた予感はある。
だったらこの話はここで打ち切っておく方がいい。
幸い、カルマはこういったやりとりが──特にこの老人とのやりとりは──嫌いではなかった。
実質的な図書館の管理はこの老人が行っている。
皺が刻まれた手、口と顎に蓄えられた白い髭、眼鏡をかけた優しそうな目が印象的な初老の男だ。
カルマはこの館の主であるという、ただそれだけなのである。
カルマが来るまで、この老人が管理人としてやってきた。そして今も実質的な管理人としてカウンターの向こうに座っている。もしもカルマが居なくなってもそのままあり続けるだろう。
老人の物腰に、動作に、言動に、今までの自分に対する自信と誇りが感じられる。
その落ち着いた雰囲気をカルマは感じていた。
そんな人物だが、それでもカルマに対して礼を失することはない。
自分の半分以下しか生きていないであろう子供相手に敬語を使うこともしばしばである。
「そういえばカルマさんがここにきてから、そろそろ二ヶ月ですね」
「そうか、そろそろそのくらいになるのか」
話は2ヶ月前にさかのぼることになる。
彼──カルマがこの屋敷にたどり着いたのがだいたい2ヶ月前。
それまでここは無人の館としてたたずんでいた。
当時、町の人の話では、幽霊屋敷として知られていた。夜に忍び込むと「出る」らしい。
なかには幽霊ではなく、魔物を見たという人もいた。
どこの街にでも有りそうなありふれた話だ。
確かに気味の悪い感じはする。そういうわけで、近場に住む人も滅多なことでは近づこうとしない。
こんな建物だが、今、そこに忍び込んできた人物がいた。
それがカルマだった。
数日前、町の人からこの建物のことを聞いて以来、彼は興味を引かれていた。
──幽霊屋敷。結構じゃないか。
元々こういう話が好きな性格である。好奇心旺盛という風に言い換えてもいい。
それに、こういう古ぼけた屋敷に曰く付きの話がつきまとっているのは逆に彼を喜ばせる。
その分だけ「お宝」が眠っている可能性が高くなるからだ。
彼の本業は泥棒である。
徒党を組んで略奪する盗賊とはちがう。
盗むことそれ自体を目的とする怪盗ともちがう。
必要だから、盗む。それだけだ。
まぁ、その理由のほとんどが明日の糧のためだが・・・。
それでも、人を傷つけてまで盗もうとは思っていない。それは彼の主義に反する。
そういう理由で、こういった話は彼のもっとも望むところである。
人気のない屋敷なら、誰に文句を言われることなく「仕事」ができるからだ。
もちろん、そうそううまくいくことはないが、なにもしないよりはましである。
少し高い塀の上に上り、中を見下ろした。
なるほど、確かに普通の屋敷にはみられない部分もある。
屋敷に侵入するときに乗り越えた塀。ただの屋敷にしては高すぎる。
その周りに建てられた塔。おそらく見張り塔としても機能するだろう。
やはり、ただの居住空間としてではなく、そういう目的のために使用されることもあったのかもしれない。
だが、どうも砦というには語弊があるようだ。
普通、砦は防衛の要であるため、それ用の軍事施設が多量にある。
それが塀の中にはほとんど見あたらない。
塀の中にあるのは見た目はいたって普通の屋敷の様であり、そこにたどり着くまでの庭にも、食糧自給のための大規模な畑などというものも見あたらなかった。
ということはここは砦としての機能を目的としたものではなく、居住のために建てた館を外敵の進入から防ぐという目的のために塀を建てた、というところかもしれない。
が、どちらにしても彼には何も問題はない。
悠々と庭を渡って屋敷にまでたどり着く。
誰もいないことはわかっている。いつものように窓から忍び込むということはしなくても良さそうだ。
──さてと、おじゃまするよ。
心の中でそうつぶやいてから、堂々と正面から扉を開けて入る。
人の気配はない。噂の幽霊も姿を見せていない。
そう感じ取ってから、とりあえず明かりをつけるためにランタンに灯をともす。
多少は夜目もきくし、普通に盗みにはいるときには必要ないが、今回は持ってきたのだ。
ボッと音がして明かりがつく。
あたりを見回す。
一目でここがどういった施設なのか理解する。
二階まで吹き抜けた広間には大きなテーブルとイスがいくつもあり、その向こうに見える本棚にはかなりの量の本が詰まっていた。
つまり、図書館。
吹き抜けには階段があり、一階と二階で図書を二分している。
一階は、半地下となっていて、狭い空間に多くの本を詰め込んでいた。
ランタンの明かりをかざしながら本の題名を眺めていく。
学術系のものから、子供が読むような童話まで様々な本が並んでいたが、そのどれもが彼には正確な価値がつかめないものばかりであった。
──これは、はずれだったかな。
価値がわからなければそもそも盗むことはできない。
適当に持っていってもたいていは二束三文にしかならないからである。
それに、少なくても「お宝」に匹敵するような高価なものはなさそうに見えた。
だいたいを眺め歩いたところで、図書のカウンターの奥に鍵がかかった扉を見つけた。
──大事なものをおいておくのは鍵のかかった扉の向こうって、相場が決まってるよな。
ベルトポーチから鍵開け用の道具を取り出す。
ドアを壊して入ってもいいのだが、よけいな破壊活動は彼の好むところではない。
ランタンの薄暗い明かりの中で苦労したが、かしゃんという音とともに鍵が開いた。
ふぅ。
一息入れて、それからノブに手をかける。
「こんな夜中にいったい何の用ですか?」
「!」
声にならない叫びをあげて、振り向く。
さっきまでは確かに何も存在して居ないはずだったそこには、片手に明かりを持った初老の男が立っていた。
「あなたは、どなたですか。このようなところにどのような用なのでしょうか」
再び、男は問いかける。
決して問いつめる口調ではない。珍しい侵入者に対してあくまで丁寧な対応をしている。
カルマは最初こそ驚いていたが、男の優しい問いかけに心を落ち着けていく。
「あなたは・・・」
「あ、俺は」
三度目の問いかけの途中で、カルマは答えた。
「俺は、カルマ。カルマ=ライシス。ここには盗みに入った。」
正直に答えて、はっと気づく。
あまりに正直すぎやしないだろうか。
名前はいいとしても、盗みに入ったはないだろう。自分から正体をばらす必要など無いのである。
だが、この老人はそれを聞いてなお、あわてることは無かった。
「泥棒様、というわけですか。それは、ご苦労様です」
言って、少し頭を下げる。
「ですが、ここには盗んで価値のあるものなどありません。どうか、お引き取り下さい」
そしてさらに頭を下げた。
「そんなまどろっこしいことしてねぇで、さっさとつまみ出せばいいじゃねぇか」
何も居なかったはずの空間に、今度は闇が現れた。そして男の横に、音もなく降り立つ。
薄暗い部屋の中でも、その漆黒の体は異形の姿を浮かび上がらせた。
「そうはいきません。どんな相手にも礼を尽くす。人としての最低限のマナーです」
「何いってやがる。そういいながら、やることは俺と一緒じゃねぇか」
「だからといって必要以上に怖がらせることはないはずです」
男はちらりと横の怪物の顔を見た。
同じく怪物の方も男をにらみ返す。
ほんの数秒の間、男と怪物はじっとにらみ合っていた。
お互いの次の行動を推し量っているように見える。
「・・・・」
「・・・・」
「ちっ、わかったよ。どうせ俺が何かしようとしても邪魔するつもりなンだろ」
「ええ、もちろん」
「はっきり言いやがって。相変わらずむかつく野郎だぜ、ランドール」
「あなたにそういってもらえるとは、後が怖いですね。アルフレッド」
二人の間に張りつめていた空気がゆるむ。
「じゃ、さっさとやっちまえ。たらたらやってたら、俺が横からちょっかいかけるから、そのつもりでよ」
「わかりました。手間はかけません。ということなので、カルマさん、申し訳有りませんが・・・」
そういって振り向いた一人と一匹が見たそこには開け放たれた扉だけがあり、カルマの姿はなかった。
──さすが、幽霊屋敷。だが、本物とはな。こりゃ一本とられたぜ。
二人がやりとりを続けている間、カルマは先ほど鍵を開けたドアの中に入り込んでいた。
ドアの向こうには下に続く階段があった。すでに五階分は降りているだろう。
ランタンは置いてきてしまったため、光源として<鬼火>を召還している。
本来ならどこに続いているかわからない通路など使いたくはなかった。
もしもこの通路が行き止まりだったりしたらおしまいだからである。
しかし、出入り口の方には奴らがいたし、逃げるのはこのドアの中しか無かったのである。
一縷の望みをかけてカルマは階段を下り続けていた。
そうしているうちに、階段は終わり、平坦な、廊下といえる部分に出る。そしてすぐにドアに突き当たった。
ノブを回してみる。幸い鍵はかかっていない。
途中に回り道など無かった。よって、この扉を開けるしか道はない。
躊躇無く、ドアを押し開く。
暗い部屋の中に入り込んで、様子を見る。
部屋が広いのか、<鬼火>の明かりだけでは十分に見通せない。
だが、だいたいの様子はうかがいしれた。
視界の届く範囲に背丈の二倍はありそうな本棚がいくつも並んでいる。もちろん、本もぎっしり詰まっていた。
背表紙から、それらのほとんどが『魔道書』であることがわかる。
中には今では伝えられていない種類の呪文も有るようだった。
しかし、とりあえずはここから抜け出さないことには始まらない。
本に興味はあったが、出口を探して奥に進む。
その途中──おそらくこの部屋の中央あたりだろう──に、妙なものを見つけた。
魔法円である。
それは淡い光を放っていた。
さらにその中心に一冊の本が宙に浮いてその姿をさらしている。
──なんだ、これ。
興味を引かれたカルマは本に手を伸ばす。
指先が本に触れる。
瞬間、何かが衝撃となってカルマの体に流れ込んでくる。
流れ込んでくる衝撃。それはたとえるならば知識の奔流だった。
自分が知るはずもない知識を、無理矢理理解させられているといえばいいのか・・・。
「そこまでだぜっ」
不意に右腕を捕まれる。そしてそのまま無造作にぐいと引き寄せられる。
本から指先が離れると、カルマの体に流れ込んでいた衝撃も収まった。
「・・・な・・・何だったんだ、今のは・・・」
カルマは呆然としてひとりごちた。
怪物に腕を捕まれているということすら気にもとめていない。
呆然としているカルマをよそに、怪物──アルフレッドは、後ろに向かって声を強める。
「だからさっさとつまみ出せばよかったんだ。これはお前の失態だぜ、ランドール」
「今回ばかりは認めましょう」
入り口の方からもう一人、初老の男が近づいてくる。
そして、しりもちをついているカルマの前に来ると、片膝をついて、話し始めた。
「カルマさん、といいましたね。あなたは、私たちの秘密を知ってしまった。そして見てはならないものを見て、触れてはならないものに触れてしまった。残念です。手遅れになってしまいました」
「手遅れ?」
未だに頭がはっきりしない。軽く降って、目を覚まさせようとするが、どうもうまくいかない。
「あなたが触れた本には、本来知ってはならない禁呪が記されているのです。私たちはそれを人の目に触れないようにするため、ここに留まり、隠し、守ってきました。」
「そうそう。近づく奴は実力で排除してきたよ」
「・・・アルフレッド」
「おっと、失言だったな」
相手に手のひらを見せる。
「排除といっても、殺すわけではありません。ここで見た記憶を消し、できればこの館に近づかない様に新しい記憶を埋め込んで、外に送り出すのです」
「じゃぁ、俺もそうなるのか」
カルマの発言に、初老の男──ランドールは静かに首を振った。
「ところが、本に直接触れてしまった場合にはその記憶が深い位置に入ってしまい、消すことができなくなってしまうのです。本は魔法円で守られ、魔力のない人にはさわることができないように封印がされているのですが、あなたには魔力があった様ですね」
「ああ、まぁね」
「迂闊でした」
ここでふうっとため息をつく。
そして意を決したように、次の言葉を継いでいく。
「記憶を消すことができなくなったあなたを、このまま外に出してしまうことは、『本』の存在が漏れる可能性につながります。よって・・・」
ランドールが少し言いよどむ。
カルマはいやな予感がした。
ぶわっと風をともなって、アルフレッドがカルマの後ろに降りる。
「もちろん、ここで俺たちがお前を”処分”するんだよ」
「!!」
「もしくは、私たちと同じく、本の守護者になる。この2つに1つです」
カルマは、ようやくはっきりしてきた頭で現状を整理する。
この二人はここの『本』を守っている。
そして自分がそれを知ってしまい、しかもその記憶を操作することができない。
このまま自分を外に出してしまうと『本』の存在が外に漏れる心配がある。
だったら・・・
「だったら・・・」
カルマは別の提案を試みることにした。
「この本が無くなれば問題解決なんじゃないか? そもそもあっちゃならない禁呪なんだろう? 燃やすとかして本自体をどうにかしてしまえば・・・」
「それは、無理なのです」
ランドールは首を振る。
「なんで? たかが本だろう?」
「あれはただの本なんかじゃねぇよ」
後ろにいたアルフレッドはふわりと舞い上がると、今度はカルマの前にきた。
「あれは見た目は本の形をしてるが、実際には知識の集合体だ。形なんかありゃしねぇよ。それに、俺たちの力じゃ破壊することもできねぇだろうさ」
「もし破壊できたとしても、禁呪は欠片となって世界中に散らばってしまうでしょうね」
二人と一匹は魔法円に浮かぶ本を見つめた。
「その欠片でどれほどのことができるか分かりませんが、おそらくそれでも強い力を持つことになるでしょう。強すぎる力は争いを生む。私たちはそうなることを認めるわけにはいかないのです」
「というわけだ。面倒くせぇから、お前、”処分”されちまってくれるとありがたいんだがな」
「アルフ!!」
「なんだぁ? 俺は親切で言ってるんだぜ。これからずっとこんなところで暮らしていかなきゃならないこいつのためを思ってな」
言い合いをしている間に、カルマはもう一つの方法を考えていた。
原因となる『本』がどうにもできないなら、自分をどうにかするしかない。
つまり。
「俺が、ここを出ても、絶対に『本』のことを口外しないようにできればいい」
何か言い合っている二人だったが、同時にカルマの方を振り向く。
「それは確かにその通りだ。外に漏れなけりゃ、全く問題はねぇよ」
「ですが、どうやってそれをやりますか」
「誓約をするのさ」
カルマは淡々と説明していく。
「俺が『本』の存在を漏らすような言動をとった場合、もしくはとろうとした場合でもいい。即座に誓約が発動するようにする。口が利けなくなる、体が動かなくなる。気絶する。最悪の場合、死んでしまうっていうのでもいい。とにかく、存在が漏れない程度に”誓約”をかけるんだ」
「ほう、良いアイデアだな。だが、死体を操られて記憶を探られるって場合はどうする? 体が粉々に砕け散るっていうのも有りか?」
予想外の答えだが、確かにその可能性も無いわけではない。
つまり、『死』では足りないのだ。『本』の存在を守るためには『滅』が必要となるのである。
「そうだな。それも有り・・・ってことになるか。だけど相手に漏れそうな度合いで誓約の発動レベルが加減されるとありがたいな。あとは頭の中をのぞき見られたとしても『本』の存在が知られないように、記憶にガードをかけておく」
「言いてぇことは分かったがよ。そんな呪文、俺はしらねぇぜ」
「申し訳ないですが、私も知りません。・・・記憶のガードくらいならできますが」
「そうだろうな。そうだと思ったよ。だけど、その問題も解決してある」
「へぇ、どうするんだ?」
カルマは立ち上がると、くるりと後ろを振り向いた。
目の前には淡い光を放つ魔法円と、その中心に浮かぶ本が有る。
「こうするのさ」
言う暇もあらばこそ、カルマは本を手に取った。
そして、再び膨大な知識の奔流の中に落ちていく。
夢を見ているようだった。
何も考えずとも、何もかもが手に取るように分かる。
今までは自分が知らなかったということすら知らなかったのだと、痛感するほどに。
その知識の流れの中で、カルマは自分が知りたいことを知ろうとした。
知りたいのは誓約の呪文。
それはすぐに見つかった。いや、向こうから語りかけてくるようにすら思えた。
突然、流れの中から引き戻される。
そして体中に襲うどうしようもない脱力感。
「なんてバカなまねを! 下手をしたら『本』に取り込まれてしまうところですよ」
カルマの腰に腕を回し、抱きかかえるようにして倒れ込んでいるのはランドールだった。
彼はカルマが本に触れたのち、飛びついてすぐにそれから引き離したのである。
時間にして数秒も無かったかもしれない。
それでも、カルマの消耗はひどく、未だに目の焦点を定めることができないでいる。
「だけど・・・」
力のない声で、続ける。
「誓約の呪文は、見つけたよ。後はこれを俺自身にかけるだけだ」
「その後、自分に”誓約”をかけたというのに、あなたはここに残った。なぜですか」
「なんだ、唐突に」
カウンター越しに問いかけられ、カルマは少し苦笑した。
「あなたには強力な”誓約”がかけられています。記憶にはガードが。つまり、『本』のことが外に漏れることが無いとなった今、ここにいる必要はないはずです」
そう、あのあとカルマはこの屋敷に留まることを選択したのである。
むろん、『本』の守護者として。
「そのことなら、誓約の後で言ったはずだけど?」
2度目のダイブで、カルマが知ったのは”誓約”の呪文だけではなかった。
『本』に記されている禁呪が、なぜ禁呪となったのか、その理由もかいま見てきたのである。
もちろんそれはほんのわずかなものであろう。
しかしそれだけでも十分だった。
明らかに強力すぎる力はすべてのバランスを崩してしまう。
そんなものを外に漏らすわけにはいかない。
ランドールとアルフレッドの二人が言った言葉の意味もこのとき理解していた。
「そしてあなたは『本』の守護者になった。『本』の存在を秘密にするために」
「そういうこと」
そういって、今度は顔をにやけさせる。
「だけど本当は、あの本を盗もうと狙っているだけかもしれないぜ? おれは泥棒だからさ」
はははと笑いを漏らす。
もちろん冗談である。誓約がかかっている今、そんなことをすれば命はない。
ランドールもその辺は理解しているらしく、同じように笑っていた。
「それじゃ、俺はそろそろ寝させてもらうよ」
「はい。お休みなさい」
カウンターから離れ、軽く手を振って出口へと向かう。
図書館の中はランドール一人だけとなった。
カウンターのイスを回して立ち上がると、奥にあるドアから下へと降りていく。
(カルマさん、あのダイブの時に見たのは本当に禁呪の由来だけなのですか)
暗い階段を下りている最中に、カルマの顔と声を思い出す。
(私には何か隠しているように思えてならないのです)
記憶にガードをかけるときにのぞいてみたが、それらしいものは見あたらなかった。
暗い階段を下り、地下図書館にたどり着く。
淡い光を放つ魔法円の中の『本』は、変わらずそこにあった。
(しかし、やはりあなたは何かを見たと、私は考えています。なぜなら・・・)
今までは無人となっていた館だが、カルマが守護者の一員となったそのときから、人が住むということになる。
そこで、カルマが館の主人、ランドールが執事兼図書館の管理人という様な格好の役割分担を演じることになったのである。
このとき知ったのだが、ランドールも異形の怪物であるらしい。
ただ、人としての姿に抵抗が無く、むしろ好んでそうしている部分があるために、いつもはそうだというだけなのだ。
アルフレッドも人としての姿に変わることはできたが、拒否した。
「いやだね、面倒くせぇ。みつかんなきゃ、問題ねぇだろう」
というのがそのときの台詞である。
つまり、館の中で人間といえるのはカルマ一人。
何とも妙なことだが、それでも三人はここで暮らしている。