序章 カルマ、旅に出る 

 


それほど広いとは言えない図書館、その管理人室のカウンターで、初老の男──ランドールは、1通の手紙を読んでいた。
手紙の内容は当たり障りのないものだった。
挨拶や季節のことを最初に、相手のことを気遣う言葉、自分の近況の報告が書かれている。再会の約束がされたあと、最後に送り主の名前が書かれて終わっていた。
手紙の差出人の名前は、カルマ=ライシス。
以前この館の住人だった人間のうちの一人である──
「カルマさん、元気でやってるみたいですね・・・」
手紙を読み終わり、高いとは言えない管理人室の天井を見上げながらひとりごちる。
ふぅっと息を吐くと、疲れた目を休めるようにそっと閉じた。
話は今から約3ヶ月前にさかのぼる。


季節は春。既に日も落ち、半分ほどに欠けた月が夜空に浮かぶ頃。
図書館の応接室でいつものように魔道書を読みながら紅茶を楽しんでいる一人の少年がいた。
少年の名前はカルマ=ライシス。
本当は少年と言うほどの年齢ではないのだが、幼く見える顔つきが彼の年齢を通常よりも若く見せていた。
背中まで届く長い黒髪を首の後ろあたりで無造作に結び、前髪から目を覗かせている。
黒のズボンにグレーのシャツ。髪を結ぶ紐の色は赤だが、シャツの上に羽織っている服の色までが黒を基調にしているものだと言うのはさすがにやりすぎだと言えるかもしれない。
首から下げた青いペンダントが無ければ完全に黒で染まってしまうところである。

春とはいってもまだあちらこちらに雪が残り、夜ともなれば寒さも厳しい。
そういうわけで、ポットの中は温かいレモンティーであった。まだたっぷりと残っている。
さすがに今夜一晩をこれで乗り切ると言うわけにはいかないだろうが、寝るまでのあいだ、体を暖め、のどを潤す役目は十分に果たしてくれそうだった。

何度か飲み干していたカップに新しく紅茶をつぎ、その水面を眺める。
いや、実際にはそれは目に映っているだけで見ているとは言い難い。
ゆらゆらと揺れる水面を視界の中心に起き、しかし思考は内面に深く沈んでいた。
・・・・・・。
結局、カルマは紅茶に口も付けずにテーブルに置いた。
ソファーから立ち上がると、背もたれ部分にかけてあった上着を持ち、ドアのノブをまわす。
あとには薄く湯気を立ち上らせるティーカップだけが残されていた。

見回せば、まだそこかしこに雪が残っている。
冬のあいだはあたり一面雪で覆われてしまうくらいなのである。それも当然といえるだろう。
館の外に出たカルマは、玄関前の石段部分に腰掛け、空を見上げた。
館の灯りも消え、まわりに光のもとになるものなどない場所である。
風のない夜に無数の星が瞬いていた。
そのまま石段の上で仰向けに寝転がる。
紅茶で暖まった体が石の冷たさに熱を奪われていく。
同時に、長時間考え事をして熱くなっていた頭もすっきりとしてくるようだった。
キラキラと瞬く星を眺めるのを止め、目を閉じて再び思考の海に落ちていく・・・。
「おい」
「・・・!!」
「そんなところで寝てると風邪ひくだけじゃすまねぇぞ」
驚いて見上げてみれば、覆い被さるように見下ろす黒い影が顔の横に立っていた。
いや、影ではない。
灯りのない夜にそれは闇に写るかもしれないが、それは確かに影ではなかった。
やせた漆黒の体、長い手足と耳、細く長いつり上がった目、赤いくちばし。
腕を広げればその間にあらわれる大きな皮膜。
氷河の時代から現代まで生き残ってきた心を惑わす力をもつ魔物──深淵の死霊。

「何だ、お前かアルフレッド」
「何だとはご挨拶だな。せっかく命を助けてやったってのによ」
「死ぬつもりはないが?」
「そんなつもりは無くても、このままだと確実にそうなるゼ」
腕組みしながら冷ややかに見下ろすアルフレッド。
確かに先ほど紅茶で温めた体も、考え事で熱くなった頭も今ではすっかり冷えていた。
「凍死するのはかまわねぇし、俺は止めねぇけどよ。やるならどこかよそでやってもらいてぇなぁ」
「だからそんなつもりはないって」
冷え切った体を起きあがらせ、石段に腰掛けた状態に戻す。
膝にひじを突いてあごを乗せ、1つため息をつくと、また考え事をしはじめた。

「・・・なぁ」
「あん?」
そのままの状態で数分が経過しただろうか。
いつもの堂々巡りに陥っていたカルマは後ろに立つアルフレッドにそれとはなしに呼びかけた。
「俺って、守護者の役目果たしてるのかな」
「なんだ。何考えてるのかと思えばそんなことかよ」
シシシシと笑うとカルマの横に並んで空を見上げる。
「だから最初に言っただろ? 何もないってよ」
「・・・」
「こんなへんぴなところ、もともとランドールだけでも十分だったんだ。」
「・・・」
「あんまり考え過ぎんなよ。悩んで答えが出ないんなら、お前のやりたいようにやればいいのさ」
「・・・」
「・・・」
「・・・そうだな」
「そうそう」
それからいつものようににやりと笑いながら続ける。
「だいたいお前はいつも考え過ぎなんだよ。あーでもないこーでもないってな。少しは気楽に行かないと数年後には眉間のしわが深淵の奈落よりも深くなっちまってるだろうぜ」
「なんだそりゃ」
「なんでも吸い込めるくらいに深くなったら笑えるよな」
「笑えるかよ」
そういいつつも、カルマは自分が苦笑するのを止められなかった。
「・・・やっと笑いやがったか」
「え?」
「なんでもねぇよ」
振り向いてみると、すでにアルフレッドの姿はそこになかった。
「・・・ひょっとして、心配してくれたのか」
まさかなと思いつつも、カルマは自分の心が少し楽になっていることに気がついていた。


次の日の昼間、カルマは図書館に来ていた。
昨日までに読んでいた魔導書を返却するためである。
ただしそれは表向きの理由。話のきっかけにしかすぎなかった。
カウンター越しに本を手渡し、それとは別に新しい魔導書を受け取る。
受け取った本をカウンターに置き、ランドールに話しかけた。
「なぁ・・・今までもこんな感じだったのか?」
「こんな感じとは、なにがですか?」
落ちかけていたメガネをくいっと持ち上げ、手渡された本に返却の手続きをしていく。
ぱらぱらと中のページを確認し背表紙の裏に付けられた袋に管理カードを差し込む。ほころんだ部分を保全してカバーを掛けると、積み上げられていた本の上に置いた。
「なにがって・・・ほら。前の俺みたいにさ、忍び込んできたり・・・。『本』を狙って来る奴らっていないのかなって。」
「ああ、そのことですか」
くすりと笑うと、別の本を手に取る。
「数年に一度あるかないかくらいですからね。ここを図書館と言うことにしてからはそのための人が来るようにはなりましたが、カルマさんのように直接忍んでくる人はそういません。ここの『本』は存在自体が秘密なんですから当然ですけれど。」
古くなったカバーをはずし、新しいカバーを手に取り、かけた。
「だから、カルマさんが来たのは本当に珍しいことなんですよ」
「じゃぁ、『本』の守護者ってのはかなり暇なんじゃないか・・・」
「そう言うことになりますね」
苦笑する。

「退屈でしたら、どこかに出かけてきてはいかがですか?」
ちょうど1冊の本のカバーをかけ終わると、作業の手を休めてランドールはそう言った。
「気分転換に、外に出るのもいいもんですよ」
くるりと席をまわし、部屋の奥の本棚から呪文書を閉じるためのファイルを取ってくる。
「気分転換・・・」
それもいいかもしれない。そう思ってランドールが手渡してくる真新しいファイルを受け取る。
「出かける前にはひとこと言ってから出かけてくださいね。心配してしまいますから」
そういうと、別の本を手に取り、カバーを替える作業を再開する。
これ以上邪魔するのも悪いと思い、カルマはカウンターを離れ、自室に戻ろうとした。
気晴らしに魔術道場にでも行ってくるかな・・・。 そう考えながら。
「あ、そうそう、カルマさん」
そこをランドールが呼び止める。
「何を悩んでいるのか知りませんが、あまり考えすぎるのも体に良くありませんよ」
「・・・?」
「私やアルフレッドに遠慮することはありません。悩んで答えが出ないなら、カルマさんの好きなようにすれば良いんです。」
「・・・!?」
振り向いてランドールの顔を見ると、眼鏡越しに優しい、しかし何故か少し悲しげな笑みが浮かんでいた。
それも一瞬のことで、ランドールはまた本の修繕作業に戻ってしまう。
──悩んで答えが出ないなら、自分の好きなようにすればいい。
それは昨夜アルフレッドに言われたことと全く同じことだった。
「カルマさんはまだ若い。こんなところに閉じこもっているよりも外に出て世界を見て回った方がずっといい」
「・・・・・・」
「出かけるんでしょう?」
全て見通したかのように、まっすぐに見据えてくるランドールの視線を、カルマは受け止めることができなかった──


その日の夜──。
カルマは自室の窓を開け放つと、外へ身を躍らせた。
泥棒だったときの経験から、身は軽い。2階の窓からでも音もなく飛び降りることができる。
難なく着地すると、数歩進んで振り返り、館を見上げる。
雲のない夜にその姿を浮かびあがらせるのは月明かりだけだったが、夜目が効くカルマにはそれだけで十分だった。

ほんの数分のあいだ、眺め、目に焼き付ける。
そして館から目を離す。肩のバッグをもう一度かけ直し、振り返って再び歩き始めた。
雪の残る季節、時刻は街の灯りも消える深夜。
吐く息にはかすかに白さが残るほどだったが、カルマにはそれすらも心地よく感じた。

塀と屋敷のあいだにある中庭。その中ほどまで来たとき、カルマはそこに誰かが立っているのを見つけた。
暗さで顔までは判別できない。しかし──
「出かけるときには一声かけてから行ってくださいと言っておいたのに」
──そのやわらかな声から、相手が誰なのかすぐに知れる。
相手は手に持っていたランタンに火を入れ、灯りをつける。
「ランドール・・・」
「だまって出ていくなんて、ひどいですよ、カルマさん」
灯りに照らされたその顔にはいつもの微笑みが──ただし悲しみを押し隠すように──浮かんでいた。
気がつけば、いつも管理人室で着ている服装ではない。青を基調とした正装である。
ランドールはこのことを完全に予想していたのだろう。
「・・・どうしてわかった? 俺が抜け出すって」
「まぁ、私も伊達に歳を取っているわけではありませんからね」
そういいつつ、苦笑する。
「それは冗談としても、最近のカルマさん、何かつまらなそうでしたから」
「・・・そう・・・か?」
「はい。 それはもう見事なくらいに」
「・・・」
「カルマさん。また・・・戻ってくるんですよね?」
「・・・ああ。戻ってくるよ」
「それを聞いて安心しました」
ランドールから不安の色が消える。

「それはそうと、アルフレッドは? あいつには気づかれるかもって思ってたのに」
「ああ、アルフなら、部屋に閉じこもって寝たふりをしてますよ。見かけによらずこういうのには弱いですからね」
「あいつが?」
「口は悪いし行動も粗野ですが、結構傷つきやすい心を持ってるんですよ」
「・・・信じられないな」
驚きの表情を隠そうともしない。
「まぁ、いつものアルフを見ていればそうとはわからないかもしれませんね」
それはランドールとアルフレッドのつきあいの長さを物語っていた。
「それにたぶん、認めようとはしないでしょう。意地っ張りでもありますから」
いいながら館の方を眺め見る。
つられてカルマも振り返った。
地下に『本』が安置されている館。そこに住む2匹の人ならざるもの。
一緒に過ごした数ヶ月間が一瞬だけ頭をよぎる。

「・・・それじゃぁ、俺、そろそろ行くよ」
「はい。行ってらっしゃい。 体に気を付けて」
「わかってるって。 行ってきます、ランドール」
軽く駆け出し、後ろを振り向いていつものように手を振った。
ランドールもいつものように微笑みながら手を振りかえしたくれた。
カルマのその背中が見えなくなるまで、ランドールはそこで見送っていた。


門をくぐり、平坦な道から下り坂にさしかかった頃。
カルマは足を止め、大きく深呼吸した。体を伸ばし、気持ちを切り替える。
久しぶりに出る外の世界。丘の上から見渡すそれは夜の闇に閉ざされていたが、何も問題は無かった。後数時間もすれば日も昇る。
「闇夜に踊る小さき精霊よ、我が下に」
いくつかの《鬼火》を召喚し光源とすると、灯りがなければ足下も見えないほどの夜道を迷いもなく歩いて行く。
「さーってと、これからどこ行こうかな」
足の向くまま気の向くまま。そんな旅だ。悪くない。そう思いながら坂を下りていった。

バサササササ──
「うわっ。なんだこいつ」
月明かりと鬼火だけを光源とした闇夜に、何かが羽ばたく音が近づいて、カルマにまとわりついた。
手で払いのけようとするが、上手くかわされてかすりもしない。
「キシシシシ」
羽ばたくそれは奇妙な笑い声をあげ、カルマの頭の上に留まる。
「どこ行こうってんだ、オイ」
払いのけようとしたカルマの手が止まる。
「・・・。その声は・・・。 アルフ!?」
「なんだ? 館から一歩外へ出ただけで忘れちまたってのか? 冷たいヤツだゼ」
再度頭から飛び立つと、カルマの目の前でばさばさと羽ばたく。
鬼火に照らされたそこにあったのは、赤いくちばしをもつ一匹のコウモリだった。
「ったく黙っていっちまうとはヒデェな」
その姿を一瞬だけさらすと、すぐにいつもの姿にもどる。
「面白そうじゃネェか。俺も連れてけよ」
そう言ってカルマの首に腕を巻き付けてくる。
「アルフ・・・お前寝てたんじゃ・・・」
「あん? こうみえても俺は深淵の死霊だぜ? 夜に寝るかよ」
言われてみればそのとおりだった。
(らんど〜るぅ〜。 どういうつもりだよ・・・)

「・・・はぁ・・・・」
「なんだよ、そのためいきはよ」
「せっかくの気ままの一人旅だと思ってたのに最初からつまずいたなっておもってさ」
「旅は道連れだゼ? 仲良くやろうや。 なぁ?」
「俺は一人で行きたいんだよ。 ついて来るな」
腕を払って、突き放す。
「へ。 そんなことで俺がいなくなると思ってんのか?」
またしてもコウモリの姿に変わると、するりとカルマの頭の上に留まる。
「この・・・」
「おっと」
捕まえようと腕を伸ばすと、頭から肩へとにげた。
「へ・・・どうした? お前なんかにはつかまらねぇよ」
「このやろ・・・」
こうなると意地でも捕まえたくなる。
しかし、肩へ腕を伸ばすともう一つの肩へ。そこにも腕をのばす、今度はまた頭の上に。
頭から肩、肩から頭へと、するりするりと逃げまどう。
「この・・・これでどうだ!」
一瞬のフェイントを入れ、頭の上でどうにか捕まえた。
「はぁ・・・はぁ・・・もう逃がさないぞ」
「・・・へぇ・・・ 誰を逃がさないって?」
「は・・・あれ?」
声はカルマのナナメ後ろから聞こえてきた。
振り返ると腕組みしてにやつきながらカルマを見ているアルフレッドがいる。
そして両手でしっかりと握りしめていたと思ったそこには・・・何もなかった。
「いったいどうやって・・・」
「俺を捕まえられるとでも思ってんのかよ」
「・・・く・・・この・・・。いいから帰れよ。俺は一人でいきたいんだから。」
「その程度で俺がいなくなるわけねぇってわかってるだろうに。 いい加減慣れろよ」
わかってはいた。 しかし慣れたくはなかった。
「はあぁぁぁぁ・・・・」
あきらめに似たため息を肺の奥から絞り出す。
「これから楽しくなりそうだな、オイ」
「この・・・」
──楽しいのはお前だけだって。
この言葉を何とか飲み込む。
「ま、これからもよろしくな。キシシシシ」
再び首にまとわりついてきたアルフレッドの腕を、カルマにはもうふりほどく元気もなかった。